愛知県は現在、外国にルーツを持つ児童・生徒の数が日本一多い県となりました。教育委員会時代、私は県内の学校を回り、支援員がカバーすべき言語の多さと、現場の先生方の「正直な疲れ」を目の当たりにしてきました。

教室のあちこちで飛び交うポルトガル語、タガログ語、中国語。彼らにとって母国語は「心の安全地帯」です。しかし、その一方で、「何を言っているのか分からず、悪口を言われているようで不安だ」と感じる日本人生徒の心の揺れも無視できません。

1. 「トランスランゲージング」という新しい武器

近年の応用言語学では、「トランスランゲージング」という概念が注目されています。これは多言語話者が頭の中にある複数の言語を別々の引き出しとして使うのではなく、一つの大きな資源としてフル活用する現象です。

ジム・カミンズ博士の理論でも示されている通り、母国語による思考力がしっかりしている生徒ほど、日本語の習得も早いことが科学的に証明されています。母国語を奪うことは、彼らの「考える力」そのものを奪うことに等しいのです。私たちは彼らの多言語能力を「指導を困難にする壁」ではなく、「豊かな学習資源」として捉え直す必要があります。

2. 「曖昧さへの耐性」を育てるチャンス

「分からない言葉を話されると不安だ」という日本人生徒の訴えは、裏を返せば、これからのグローバル社会を生き抜くために最も必要な資質を育てる絶好のチャンスです。それは「曖昧さへの耐性(Tolerance for Ambiguity)」です。

世界に出れば、自分に理解できない言葉が飛び交う状況こそが「日常」です。そこで不安に陥るのではなく、「彼らには彼らの大切な繋がりがあるのだ」と尊重し、適度な距離感でいられる心の余裕。これこそが、Global Classroomが目指す真の国際感覚に他なりません。

3. 公的な空間と私的な空間の「デザイン」

ただし、無秩序で良いわけではありません。現場では以下の2つの境界線を明確に引くことを提案しています。

  • 共有の場(Public Space): 全員で議論する時や指示を出す時は、共通言語(日本語)を使う。「誰一人取り残さない(Inclusion)」ためのエチケットです。
  • 個人の場(Private Space): 休み時間や個別作業は、どの言語を使っても良い。そこは彼らのアイデンティティを守る聖域です。

大切なのは、教室の中に「分からない言葉があること」を当たり前として受け入れる土壌を作ることです。言葉の多様性に疲れ果てるのではなく、それを「未来の縮図」として面白がる。そんなしなやかな姿勢を、私たち大人がまず見せていこうではありませんか。

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