愛知県の学校では、複数の言語が聞こえる教室は珍しいものではありません。 文部科学省の令和7年度調査では、公立学校に在籍する 日本語指導が必要な外国籍の児童生徒は愛知県で13,684人と報告されています。 これは全国の都道府県の中でも特に多い規模です。

私自身、教育委員会で県内の学校に関わっていた時期に、 ポルトガル語、タガログ語、中国語など、さまざまな言語背景を持つ子どもたちと、 その支援に向き合う先生方を見てきました。 そこで感じたのは、「日本語以外を話してよいか、禁止すべきか」という単純な二択では、 教室の現実を十分に捉えられないということです。

この記事で考えたいのは、「何語を話してよいか」という規則そのものではありません。
生徒が安心して学び、考え、参加できるために、 教室の言語をどのように設計するかという問題です。

1. 多言語を「問題」だけでなく「学習資源」として見る

応用言語学では、学習者が持つ複数の言語資源を柔軟に使って意味を理解したり、 考えを組み立てたりする実践を説明する言葉として translanguaging(トランスランゲージング)が広く使われるようになりました。

たとえば、難しい内容をまず自分が最も理解しやすい言語で整理し、 その後に日本語や英語で説明してみる。 友人同士で母語を使って意味を確認してから、クラス全体では共通言語で発表する。 こうした使い分けは、学習者がすでに持っている言語資源を、 新しい学習へつなぐ一つの方法として考えることができます。

一方で、translanguagingという概念にはさまざまな定義があり、 教室でどのように使えばよいかについて研究者の間でも議論があります。 「多言語を使えば必ず学習効果が上がる」と単純化するのではなく、 目的・学習者・授業内容に応じて使い方を考えることが必要です。

2. 「母語を使うこと」と「日本語を学ぶこと」は対立しない

元の記事では、「母語による思考力が高いほど日本語習得が速い」と強く書いていました。 しかし、言語習得は年齢、学習歴、家庭環境、教育機会、使用言語など多くの要因に影響されます。 一つの理論だけで「母語が強ければ第二言語も速く身につく」と断定することはできません。

それでも、学習者がすでに持つ言語を理解や思考の支えとして利用できる可能性は、 多言語教育研究で繰り返し議論されています。 私が学校現場で大切だと考えているのは、 日本語の習得を支援しながら、家庭や本人にとって大切な言語まで否定しないことです。

母語を使うことと、日本語で参加できる力を育てることは、必ずしも二者択一ではありません。 「何のために、どの場面で、どの言語を使うのか」を考える方が、 現実の教室には合っていると感じます。

3. 分からない言語への不安も、無視しない

多言語を尊重することは、 「分からない言葉を聞いて不安になる生徒は我慢すべきだ」という意味ではありません。 教室では、知らない言語で周囲が話していることで、 自分だけ会話から外れているように感じる生徒もいます。

その感覚を「国際感覚が足りない」と否定するのではなく、 まず何に不安を感じているのかを聞く必要があります。 同時に、「自分には分からない言葉が存在すること」そのものに少しずつ慣れ、 分からないことと、悪意があることを同一視しない経験も大切です。

私はここに、異文化理解の学びがあります。 相手に母語をやめさせることでも、 何を話しても自由とすることでもなく、 自分の安心と相手の言語的な安心をどう両立するかを話し合うことです。

4. 私が考える「共有の場」と「選べる場」

ここからは研究上の唯一の正解ではなく、私自身が学校現場で考えてきた実践上の整理です。 私は教室の言語環境を、次のように分けて考えると分かりやすいと感じています。

  • 共有の場: 全員が同じ情報を理解する必要がある説明、学級全体の話し合い、重要な連絡では、参加者が理解できる共通言語を基本にする。
  • 選べる場: 個人で考える時間、友人との確認、メモ、休み時間などでは、本人が理解・表現しやすい言語を柔軟に使えるようにする。
  • 橋渡しの場: 母語で整理した内容を日本語や英語で伝え直す、複数の言語でキーワードを比べるなど、言語間を行き来する活動を取り入れる。

もちろん、クラスの構成や年齢、授業の目的によって適切なルールは変わります。 「日本語だけ」「何語でも自由」という一律のルールよりも、 なぜその場では共通言語が必要なのか、なぜ別の場では選択を認めるのかを 生徒と共有することが大切だと思います。

5. 多文化共生は「きれいな言葉」だけでは続かない

多文化共生という言葉には、前向きで温かな響きがあります。 しかし現場では、支援員の不足、教師の負担、言語の壁、 生徒同士の誤解など、簡単には解決できない課題があります。

だからこそ、「多様性は素晴らしい」と言うだけで終わらせたくありません。 日本語を学ぶ必要がある生徒への具体的な支援と、 すでに持っている言語や文化を尊重する姿勢の両方が必要です。

教室に知らない言葉が聞こえることを「問題」と決めつけるのでもなく、 逆に何の配慮もなく「多様性だから受け入れよう」と求めるのでもない。 一人ひとりが学習に参加できる方法を探し続けることが、 私にとっての多文化共生教育です。

教師として考えたい5つの問い

  • この場面では、なぜ共通言語が必要なのか。
  • 学習者が母語を使うことで理解しやすくなる場面はあるか。
  • 日本語を学ぶ機会を十分に確保できているか。
  • 分からない言語に不安を感じる生徒の声も聞けているか。
  • 言語ルールを「禁止」ではなく、参加のための理由として説明できているか。

愛知県の教室は、これからの日本社会を少し先に映しているのかもしれません。 多言語が存在すること自体を特別な出来事として扱うのではなく、 その中でどう学び合うかを考える。 私は、そんな教室をつくることが、 生徒にとっても教師にとっても現実的な多文化共生への一歩になると考えています。

参考資料

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